旅立



 目を、開ける。

 轟音とともに線路の向こうから、警報器の絶え間ないリズムが、生温い風に乗って流れてきた。
 近付いてくる列車の音に重なって、警報音がカンカンと叫んでいる。
 緩くカーブを描いた線路の先で、夕闇の中、朱色のランプがちかちかと瞬く。
 その後ろに見えるのは、今まさに近付いてくる列車のそれなのだろう。
 他に利用者のいない小さな駅のホームは、驚くほど静かだった。

 やがて、ひび割れた音がさびたスピーカーから流れ始めた。
 静寂を破った音色は、きしみながらメロディーを奏でている。
 調律しそこなった弦の唸るに合わせ、駅は一瞬だけ息を吹き返した。
 毎日繰り返される一瞬の蘇生と、再び訪れる静寂という名の死。
 時刻表はすすけ、駅員のいない改札口で、蜘蛛の巣が揺れる。

 そのとき夕闇を、小さな影が二つ蠢いた。
 いつの間にそこにいたのだろう。若い男女である。
 二人は何も言わずに立ち上がると、静かに数歩踏み出した。
 各々、小さな鞄を一つだけをもって寄り添い合う、後ろ姿。
 道行を決めたシグナルとシグナレスのようで、思わず辺りを見回す。しかし人気のない駅には、追いすがる電柱も、倉庫の姿も見えなかった。
 じっと見詰める私の前で、男が小さな声で
「あのぶっきりこも、やっとこさ諦めたようですね」
 と囁いた。
「悪いことをしてしまいましたわ」
 女が返したのも、きっと幻聴だ。
 同時に入ってきた電車が、二人の声を掻き消したのだから。

 シグナルは、静かにシグナレスを促した。
 古ぼけたワンピースに大きな帽子を抑えて、シグナレスが昇降口に足を掛ける。
 シグナルが乗車すると同時に、列車は扉を閉じた。
 空気が、静かに動き出す。
 段々大きくなっていく車輪の音とともに、明るい窓が流れていく。
 最後に笛を手にした少年が手を振って、列車は駅を出て行った。


 車体が夜空へ駆け上っていくのを見送って、私は再び目を閉じる。
 瞼の裏で流れ星が、双子座から天の白鳥へと橋を渡した。




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