Prelude



 何年も前のある日のことである。
 ある少年が、たった一人で村を出た。
 少年はやがて大きく成長し、武勇の猛者としてその名を知らしめた。
 彼は村の誇りとなり、爾来彼を追って腕を磨く少年は後を絶たず、かくして少年は勇士となり、故郷に錦を飾ったのである。

 しかしそれから数年後、勇士は海に消えた。

 村では盛大なセレモニーが開かれた。
 彼の廟は村人たちの崇拝の対象となった。
 以後もあとを追う少年は後を絶たず、その勇士は後を追う少年の数毎に、伝説となっていった。



 彼には、可愛がっていた姪がいた。幼子は彼を兄と慕い、彼も女の子を娘か妹のように慈しんだ。
 彼が姿を消した日、女の子はひどく泣いた。わけも分からないまま、寂しさを感じ取り、ただ泣き喚いた。
 しかし次の日、女の子はぴたりと泣きやんだ。
 弔いの間も、その後も、その子が顔を曇らせることはなかった。

 ――そして、長い年月が流れた。




 ある日少女が少年を伴って、勇士の月命日に墓参した、その帰り道。
 突然、彼女は、言ったのである。

「本当はね、死んでないの」

「え?」
 振り返ると、少女が両手を後ろに組んで、内緒話をするかのような悪戯の笑みを浮かべて、そこに立っていた。
 足元の草が風に揺れて、柔らかな風が頬を撫でていく。
「だって、なんにも帰ってきてないのよ」
 少女がそう言って、両手を広げ、軽く小首を傾げた。その頬に、ぽくりと笑窪ができる。
 そして少女は、驚いた少年を見てこらえきれないというように、肩を震わせてくすくすと笑った。

「ただ、おじさんは村でも有名人になっちゃったから、行方不明のままにはできなかったのね。それで、『死んだ』っていうことになったのよ」
「でもちゃんと、連絡はあったんだろう?」

 少年も、その日のことを覚えている。静かで暗い、雨の日であった。
 立派な服を着た人が、マントを翻して少女の家に入っていくのを見た。友達の泣き声が聞こえて、幼かった少年は、どうしたのだろうと思っていた。
 それからしばらくして、村で盛大なセレモニーが行われたのだ。
 それで分かった。あの日、何か大変なことが起きたのだと。
 どういうことだったのかを知ったのは、それからずっと後のことだったけれど。

 ……しかし少女は、くいっと首を突き出して、小さな声で囁いた。
「教えてあげる」
 少女の声が、さらに潜められた。

「連絡に来た人が言ってたのよ。おじさんのことはよく知ってる、絶対生きてるはずだから、いつか連れて帰ってきてあげる、って」

 それを聞いて、少年は両目をさらに大きく見開いた。
 勇士は、まるで神に召されるように死んでいったのだと聞いていた。村の誰に聞いても、たとえば長老に聞いたとしても、皆が口をそろえるだろう。
 彼女のその一言は、少年の何もかもを越えていた。
 見たこともあるはずの、その勇士の姿はすでに、記憶の底流に消えつつある。それがいまになって、妙な現実感をもって迫ってきた。
 しかしそれは、すぐには信じがたいことでもあった。

「伝えに来た人が、そんなこと言うわけないだろう。だいたいそれだって、10年近く前じゃないか。記憶違いか、ちっちゃいお前を元気付けるための、方便だったんじゃないか」
 咄嗟にそう返すと、少女はむすっと頬を膨らませて、両手を腰にあてた。そして傾げていた首を反対に傾けて、強い語気で言いかえした。
「間違いないわよ。おじさんとは同門だったんだって。私にだけ本当のことを教えてあげるって、そう言ってたんだもの」
 しかし少年も、すぐに首肯はできない。たとえ彼女が、勇士の身近な人物であったとしても、それとこれとは話が別だ。

「じゃぁ確かめてみようぜ。その人に聞きに行こう、本当は死んでないのかどうなのか。いつか連れて帰るって、そう言ってたんだろう?」

 頑なな彼女に、少年はむっとして食ってかかった。
 しかし少女は、少年の脇をすり抜けながら、あっさりと肩を竦めてみせた。

「無理よ、その人もいなくなっちゃったもの」

「いなくなった?」
 少年が、目を瞬いた。
 それを見て少女は再びくすくす笑い、遠くを見つめるような柔らかな瞳をして言った。
「おじさんのすぐ後に、その人もいなくなっちゃったの。お母さんが言ってたわ、時間が経ち過ぎて、二人して出てきにくくなっちゃったんじゃないか、って」
 その迷いがない言葉に、少年は足元へ目をやった。青い草が、さわさわと風に揺れている。
 顔をあげると、少女がじっと少年を見つめていた。
「……絶対、死んでないんだな?」
「そうよ。絶対死んでない」
 少女が頷く。
 それを見て、少年は人差し指を伸ばし、挑戦するように少女を指差した。

「……だったら俺が探して、連れてきてやるよ」

「え?」
「村の子供はみんな、あんなふうになりたいって憧れてるんだ。なんてったって村の勇士だからな、俺だって会ってみたい」
「本当? 本当に探してきてくれるの?」
 少女の目が輝く。
 かつて可愛がってくれた姿も、その思い出はひと昔のこととなり、段々と薄れていっているのだろう。
 一番会いたいと思っているのは、少年ではなく少女なのだ。
 それを知っている少年は、深く一つ頷いた。

「本当だ」




 ――そしてまた、長い年月が流れる。

 かつての勇士が伝説となり、そして村から一人の勇者があらわれる、その少し前のお話。












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